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金子てい先生


 「赤い鳥と」北原白秋先生との出会い

 金子ていが尋常科三年の時(八歳の頃)、北原白秋の「赤い鳥」への常連投稿者となり、数多くの入選作品が誌上で発表された。天才少女、金子ていの文学才能が北原白秋によって発揚されたことは、ていにとって生涯の幸せであったといえる。この出会いは、言うまでもなく、堀田二小(現在の蔵王二小)の担任教師である、太田天竜先生によってなされたことを抜きにして語ることができない。(中略) 先生は金子ていだけでなく学級全員に呼びかけて、「赤い鳥」に積極的に投稿させている。子供たちは、創作する喜びや自分の作品が活字になって「赤い鳥」にのることに意欲を燃やし、学校がわきたったのであった。

北原白秋より堀田二小(現在の蔵王第二小学校)絶賛される  大正十三年五月 白秋全集(原文のまま)

 今月の作品については、大人たちのはどうもいいのが集まらないのが残念です。本来大人たちの創作童謡が「赤い鳥」での主であったが、すっかり児童たちの詩に蹴落とされてしまった傾向があります。私はどうかして本誌から、ほんとうの立派な童謡作家を推奨したいものだとおもいますがこれはまたこまります。児童たちの益々よくなるのが驚かされます。 学校では、大寶小、堀田小、若柳小、中結城小、村山西小等の、各小学校が際立って高い位置に上がって来たようです。 さて推奨の中で金子ていさんの「月夜」は写生でも神秘的な深みがあり、芳原君の「新聞」はまことに清新な感覚があります。これからは在来の傾向のものであってもすぐれたものだと思います。その中、推奨二編だけぬきましたが幸田君の「夕焼」も私たちの見るのと少しも変わらない。その他中結城小学校は粒ぞろいです。堀田では金子てやはりいさんが素質としてはすぐれています。堀田第二小学校の諸君のすばらしくなった事に驚きます。

  日 和

          金子 てい

    しづかな日和だよ。
    何もないのに
    みんな笑っている。
    けしの花のほこりが
    となりの花にとんだよ。

       『赤い鳥』第十三巻第六号

 当時、日本の国は貧しく学びたくても十分な時間や学校はかぎられていました。家の手伝いや弟や妹のめんどうなどを見ることなどすることは山ほどありました。金子ていの詩にも弟や妹や家事の手伝いの水くみの詩を読むとていの生活のことがよくわかります。本を読んだり、文を書いたりすることが好きなていは進学を希望します。家の出費のことを考えると大変なことであったろうと思います。また、上野から金井まで(現在の蔵王駅)までの往復を毎日したことを考えても学びたいという気持ちと、学び続ける努力とが非常に強い人であったことがうかがえます。
 このような話がつたわっています。ある朝、朝食の準備をしていたときのこと呼ばれてふりむいたときに、お下げにしていた髪をかまどの火で焼いてしまった。半端に焼けた髪を思い切って切り、おかっぱにして学校に行った。その事情を学校の先生や友達に話した。友達は、ていの働きぶりに感動したという話である。
 金子ていは、昭和四年に県立第一女学校(現在の西高等学校)に入学し、さらに日本女子大に進学しています。

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